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電子楽器、音楽、コンピュータ、プログラミング、雑感。面倒くさいオヤジの独り言

パッション

噂の映画”パッション”をついに見た。
史実に忠実に描かれているとのことだが、文章で読む神話では決して感じることのない恐怖、苦しさが、凄惨な映像で再現される。
エスを演じるのはジム・カヴィーゼルという俳優だそうだが、ところどころで挿入される、彼の目が印象的。
信念と悲しみと想いと慈愛のすべてが表現されたかのような眼光。日常生活の中でもフラッシュバックしそうなほど。
爪付きの鞭打ち刑、イバラの冠、手のひらに釘を打ち付けられるの場面では、思わず体中の筋肉が収縮し、内臓がヒクヒクするほどの恐怖。爆弾やアクションではない、リアルな受難。
衆愚政治、卑怯、臆病、権力に対する、強烈な意思。神がいるなら、なぜイエスを磔にしたのか?と憤りを感じるくらい。見ていることしかできない弟子たち。「その人を知らない」「俺は関係ない」
自ら磔にされる十字架を背負って、ゴルゴダの丘まで歩いていくシーンを、かつてギタリスト”JoeSatriani”が”Hill oF the Skull”という曲にした。磔にされながら、血が一滴一滴流れる様をギターの音で表現したとのことであった。JoeSatrianiの表現力と曲の重さに当時はショックを受けたものだが、この映画はさらに圧倒的だ。
鞭打ちを受けながら、おろかな民衆から石を投げつけられながら、白目を剥いて、何かを口から吐き出し、ひざまずき、十字架の重さに筋肉を震わせながら、自分の死に向かって行進するのである。
ここまでが前半のおおよそのストーリー。

「父よ彼らをお許しください」
「彼らは知らないのです」
なんで、あれだけの仕打ちを受けながら、こんなことが言えちゃうんだろう?
キリストの教えや、キリスト教そのものに、なんら同調するものではないが、自分のような凡人には、そんなことは言えないな。それだけでも奇跡といえば奇跡。
「神よ、なぜ私をお見捨てになったのです」が、人間イエスの本音かと思いきや
「救いの御業は成し遂げられた」
からしずくが一滴、馬がいななき、地震が起こる。すべては終わった・・・・画面がフェードアウト
・・・と思わせておいて、エンドロールの直前にイエスが復活。
「ん?」
どゆこと?
この映画って・・・意味が分からない。コピーにあるように、本当に”イエスの最後の12時間を忠実に描いた映画”だな。それだけだ。本当に
キリスト教徒でない自分は、この映画から何を読み取れば良いって言うんだろう(汗)
エスその人や教えがどうこうよりも、イエスの周りの人々全部が、自分の一部として反省する?原罪?