y-matsui::weblog

電子楽器、音楽、コンピュータ、プログラミング、雑感。面倒くさいオヤジの独り言

Rulerとは道徳を定めるもの

さて、役割と環境が人間を規定するところまで話が来て、今度は権力、道徳の話。
ニーチェという哲学者兼狂人(笑)は、彼の哲学を徹底的に強者、権力、支配者、弱者、道徳の間の力学で構築した。
ヨーロッパの価値観を倒錯したキリスト教を罵倒、批判、無力化し(実際には更に強大化しているように見えるが)、道徳の起源を解明しようとした。
彼の論理は非常にシンプルで的を得ている。
「強者がルールを規定する」「弱者が連帯し価値観を転覆しようとする」
「強者たれ!超人を目指せ」「君の権力への意思を肯定しろ!」である。
貴族の哲学。強者の哲学である。帝王学である。(ほんとかなぁ)

支配者を和英辞書でひくと”Ruler”。定規もRulerである。
ルールを定めるもの。価値観を規定するものが強者たる支配者のみに許された特権。
新しい価値観を創出し、多くの賛同さえ得られれば、晴れて支配者である。
宗教家、起業家、政治家、独裁者・・・それぞれに自分の価値観を広め、権力を手中に収めようとする。
ある価値観を認め、または同意し、シンパシーを覚える心情は、すべてある権力に帰依していると言える。
洗脳が使われるとき、必ずある権力者への絶対帰依を目的とする。(企業のコマーシャルで使われる時は、権力ではなく金が目的)
教育の目的も、国家の構成員たる”従順な国民”を作り出すための洗脳。
社員教育だって、骨身を削って、会社の利益に貢献させんがための洗脳。
貴族(侍?)であろうとすれば、自分の価値観を鍛え、時の権力者に悪用されないよう、常に権力に敏感でなければならない。
・・・って何を言ってるんだ?blogで(汗)