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電子楽器、音楽、コンピュータ、プログラミング、雑感。面倒くさいオヤジの独り言

米国の教科書問題

米国で、進化論教育をめぐる攻防が激化という記事がHotWiredに載っていた。
以前より、”米国には進化論を否定して創造説を信じている人達が大勢いる”ことは知っていたが、保守的な片田舎の州で、信仰深いじいちゃんばあちゃんがひっそりと信じている程度だと思っていた。
まさか、全米アカデミーがWebで力説しなければいけない事態だとは・・。
科学技術を最も進歩させた国で、進化論を強者生存の支柱として政治利用してきた国で・・いまだに進化論を巡って熱い議論があるっていうのがワンダホー。

生物として進化しようがしまいが、輪廻転生しようがしまいが、人生になんの関係があるのだろう?
自分は、人間の祖先がサルだろうが、鯨だろうが、鳥類だろうが、犬のような哺乳類だろうが・・大して人生に関係が無いと思っている。また、始めの有機物の生成が、神のデザインによって生まれようが、海のスープから落雷で生じようがどっちでも良い。(いや、神なんていう妄想めいたものに依存してしまう考え方の方が嫌いかな)
宇宙の始まり(ビッグバン)が神様の「光あれ!」だった・・くらいの妄想なら許容できるかな。なんか楽しいし。

”神がつくりたもうた人間という最高傑作”って思わないと、気が気じゃないのかなぁ。それとも、”神に祝福されている我々(米国人)は、他の民族を奴隷化しても良い”と思わないと、自国の歴史と国民としてのアイデンティティを確認できないのかいな。
つまり進化論か創造論かなんていう話は、神を天から引き摺り下ろし、人間中心を謳歌、科学意識の目覚めであるヨーロッパの運動が全く定着していないっていうことなんですよね。
変なヤツらだ。
言いすぎかい?(汗)