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電子楽器、音楽、コンピュータ、プログラミング、雑感。面倒くさいオヤジの独り言

受動的な器官が生み出す幻影

脳が受動的な器官であることは良く知られている
目や耳から入ってくる情報を一度は受け止めてしまう
自由意志の入る余地がなく、勝手に処理してしまう
できるのは、より注意を向けて、選択することだけだ。
それからたくさん流通する情報は、半ば自動的に処理されたり、なかったことにされたりもする。
聞き間違いなんていうのは、日常でしょっちゅう起こるし、哲学、思想の問題が、ほぼ、言葉の取り違いの問題(言語ゲーム)だなんていう見解まである始末。脳が処理して、我々の意思だとか、意識だなんていうことは、信用しても良いんだろうか?
まぁ、日頃大したことを考えてもいないし、間違えたからどうだという問題でもないのだが。
言葉が、脳の中に記号のストリームとして一時記憶され、睡眠時、長期記憶エリアに定着し、次に入ってくる言葉と連結したり、触発されて別の言葉と繋がったり、前の言葉が強化されたり、うちけされたり。
そんなものに一喜一憂したり、恐れたり、怯えたり、不安になったりする意味があるんだろうか?
つまり、肉体の保存や快楽の記憶以外に、どんな情報が必要なのだと思う。
不安の先取りや、防御的な思考、ネガティブなイメージを、なぜ有限の脳のリソースに定着させる必要があるのかということ。
肉体のため有益な働きをしない脳ならば、しばらく眠らせるが良い。