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Co-静流について

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Co-静流について

92年〜96年に山形県米沢市で産声を上げた音楽ユニット”Co-静流”ついて・・・記憶の中から手繰り寄せて、ここに記しておきたいと思います。

いつかまたパワーアップして復活を遂げるときがあるかと思いきや、メンバーの田村祐一(デン)を失った今、本当の思い出になってしまった。

ドライフラワーを永久花と言うらしいが、こういったメディアやデジタル音源化してしまうと、CO-静流も永久花になってしまうのだろうか?


Informations

About Co-Shizuru.....

We are only one Super Band.

We play Classical Sounds and Ethnic Sound by many hight technologies,Samplers
Digital Effect ,Macintosh and Windows Computers,Synthesizers,and Our Neuro
Computers.

The Sound is sometimes feel like ambient on mindscape,and ,and is sometimes
feel like terrible streams and vivid colors.

Co-Shizuru are ...

Matsui Yoshiyuki

 age 26

From aichi

Chinese Strings Erfu,Sequence Programming ,ElectricGuitar,Guitar Synthesizer

Abe Masataka

age 25

From Osaka

Electric and Acoustic Violin

Tamura Yuichi

age 21

From Yonezawa

Synthesizers,Acoustic Piano ,Digital Sampler

Thank You

 

Index

  1. そもそもの始まりについて
  2. 静流・小静流を経由して阿部ちゃんと出会う
  3. MIDIプレイヤーズで田村と出会う
  4. 音楽的な衝突によって
  5. より充実したサウンド作り
  6. ライブに飛び出せ
  7. Co-静流95、95Plus
  8. 未完のデモテープ
  9. ラストライブ
  10. 一時的な復活
  11. デンを失って



<そもそもの始まりについて> 

あれはいつだったか(CDリリースからすると91年)、”式部”というNHKスペシャル大英博物館”のために結成されたユニットのことが気になっていた。時期が同じだったかどうか・・今更思い出せないが(きっと式部よりも後だったと思う)、AXIAのコマーシャルで、「なきなーさーいー」と衝撃的な歌声と出逢った。はじめの頃は、コマーシャルで金網の向こうで涙を流していた女の子が”おおたか静流”だと思っていた。”おおたか静流”その人と出会うのは、式部のアルバムにちょこっとだけ出ていた全身写真によってだ。コマーシャルソングの世界では有名な職人ヴォーカルによるものだったと知るのはずっとあとの話。

シングルCD「花」を買って、もっと衝撃を受けることになるのが「みんな夢の中」である。なんとも絶望的な曲ではないか。曲はもちろんのこと、アレンジ、歌詞が一体となって突き刺さる。




これまた同時期だったかどうかも覚えていないが、坂本龍一が”ラストエンペラー”のサントラを手がけていて、その中でメインメロディを担当する”胡弓”をいう楽器の、まるで号泣するかのような音に衝撃を覚えていた。

いつだってこういう事は一気に起こる。時代とかのうねりってのがあって、それにたまたま同調した(居合わせた?)だけなんだろう。しかし、花、みんな夢の中、式部、ジャンジェンホワの奏でる音楽は、文字通り鳥肌が立ち、頭がボーーンと殴られたような音楽体験だった。自分は、いままで何をしてきたのだろう、何を聞いてきたのだろう・・・・自分がやりたい音楽ってこういう感動体験じゃないのか?素直な感情を曲にのせる事なのではないのか?180度嗜好が変わってしまうのである。たぶん、洗脳ってのはこういうことなんだろう。(笑)




式部、おおたか静流、胡弓、篠崎正嗣、大島ミチル、ジャンジェンホワ

大英博物館 1,2、おおたか静流「花/みんな夢の中」は、今でも宝物のような大事な曲たちである。


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<静流・小静流を経て阿部ちゃんと出会う>
  

はじめにはじめたのは、当時の音楽活動の中心であった軽音で結成した”静流”。キーボードの短大生2人(うち一人は当時の彼女)を洗脳し、自分の打ち込みの上で「さぁ、弾いてくれ」っていう感じ。後にこのバンドにギターの本郷が入ったりするのであるが、基本的にわしの打ち込みとドラムとおねぇちゃん達といっしょに、「やりたい曲をやる!」っていう当たり前のコンセプトのバンドだったのである。

式部、おおたか静流、エンヤ、フランキーゴーズトゥハリウッド、ナウシカYMO・・まぁ、「僕達ロックバンドです」とか「俺達はメタルバンドです」なんていう言い方が全然かっこ悪いと感じていたので、強いて言えば「僕達の好きな曲を演奏します」って感じ。



いやぁ、このバンド、軽音の中で受けが悪かったんですわ。エレクトーンの発表会みたいな雰囲気だったし、「今までブイブイうるさいドラムたたいてた松井が、何で打ち込みバンド?」っていう冷たい反応もあったんでしょうなぁ。男一人に女二人っていう構成が、オス達の敵意を招いたのかもしれない(汗)

ロックとかメタルとか、明らかに人の心に影響を及ぼさないどころか、反感すら覚えられかねない音楽よりも、先入観なしに、誰でも共感するようなのをやりたかったんで、イメージとしては正解だったかもしれない。

映像的って言われたこともあるし(逆にライブを見てもつまんないっていう意味か?)、「いいねぇ」とだけ言われたこともある。シーケンサーのクリック音を聞きながらドラムを叩くっていうのは、このバンドが始めてだったし、面白かった。復活したYMO(1993年?)をメンバーで見に行き、即座にコピーして演奏した(Behind
The Maskだっけ)のも楽しかった。

しかし、この静流っていうバンド、メロディの表現がキーボードなんですわ、当たり前のことなんだが・・・。で式部やクライズラー&カンパニーなんかをやりたいっていうのに、やっぱ違うわけですわ。大好きなストリングスだって、キーボードの平坦なアンサンブルじゃ全然納得いかないわけです。

・・・で、自分でエレクトリックヴァイオリンなんかを買って、学生オーケストラサークルである”アカデミーストリングス”の門戸をたたくわけです。

そう、自慢のエレクトリックヴァイオリンを持って。エレキヴァイオリンを手に、しかもクラシックヴァイオリンを弾きたいなどとは露ほどにも思ってなさそうなワシ(笑)に対して、キラキラ星やら弓のもち方やらを教えてくれたのが”阿部ちゃん”なのである。アカデミーストリングス内部でどんなやり取りがあったかは知らんが、とにかくあの部室に行くと、阿部ちゃんが相手をしてくれたわけですわ。

練習?一応しましたよ。キラキラ星ならぬ「ラストエンペラー」やら「みんな夢の中」なんかを

しばらくすると、彼女と別れることになって、静流は空中分解になり、当時の親友(?)だった本郷っていうブルースギタリスト(←自称ね)ともっとカジュアルなユニット”小静流”を結成するわけです。ちょうど失恋と同時に、得たものがあったんです。これ非常に重要なんだけど、胡弓ですな。

弟の友達が台湾から持ち帰ったものを、わしが譲り受けたわけなんだが、胡弓を弾きたい!

まぁ、失恋の痛み(笑)から救われたのが本郷と音楽のことを話たりしている時間だったり、小静流の構想だったりしたんでしょうな。

・・・でしまいには「阿部ちゃん!バンドやらない?」ってなって・・っていうか、元々「誰か仲間に引き入れたろ」って思って、アカデミーストリングスに入団(潜入?)したんだと思う。


阿部ちゃんが軽音に部室に現れるようになり、打ち込みをバックに練習を始めるんですな。これが初期のCO-静流(始めは小静流)

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MIDIプレイヤーズで田村と出会う 



打ち込み、胡弓、ギターで始まった小静流で軽音を中心に演奏活動をしていた時、当時楽器屋を私物化していたMATZ(松田稔)が企画する”MIDI
Players Live”に出演。小静流、ハッスルパンチなどなどMIDI系のバンドが参加。

その中に細野晴臣によく似た青年”田村祐一”がいたのである。はじめは「YMOをこんな若いヤツが知っている」「今どきアナログシーケンサーかよ!」ってんで、それなりに盛り上がった気がする。


彼は当時、”TKシステム”とかいう女の子がボーカルで、ドリカムなんかをやっちゃうような、ごく普通のシンセ好きの青年だったわけだが、既存の音楽を否定し、自分のバンドを否定し、「何かただならぬこだわりを持っているらしい」っていうのは分かった。


彼は、小静流の練習日に顔を出すようになり、趣味の写真で小静流のライブ写真を取りまくり、急接近するのである。


そう、当時彼には”細野くん”というあだ名があった。(笑)


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<音楽的な衝突によって>  




小静流ではギターの本郷がMCを担当しており、フォーク的なノリのライブをしていた。打ち込みをバックにした完成度の高い音楽をやりたかった自分としては、フォークノリやコードをかき鳴らすだけの”ギタープレイの詰まらなさ加減(失礼)”はいかんともしがたかった。そう、典型的なスリーコードロックンロールなのである。(SUS4くらいは使っていたかも)


コード進行表をこっちで用意しないとあわせられなかったり、彼に「こういうの弾いて欲しい」と自分がギターを弾いて見せたこともあった。ギタリスト相手に、非常に失礼なことだと思うが、彼にはもっと真剣に音楽を練習して欲しかったのである。お笑いMCではなくて(笑)


打ち込みでほとんどのアンサンブルを作りこんで、その上で胡弓を演奏して・・っていうスタイルだけの方がベターに思えた。


・・でもっとこういう方向で行きたい・・・とネタであるシーケンスを聞かせながら話をするわけだが、「これはこれですでに完成されている」「入る隙間がない」「箱庭音楽(箱庭には違いない、確かに)」だの「お前はファシストだ(ファシズムって政治の話かよ?)」だの散々攻撃された挙句、わしもなさけないやら、頭に来るやらで「お前とは続けられない」「俺は俺でやる」「お前は自分の好きな曲を自分でやってくれ」「クビだ!」となるわけ。


(意見するときには、自分が何かを提示して意見するという当たり前の習慣が重要・・・ってのがこのとき感じて、いまだに持ってる基本的なスタンス。仲良しではなくって、ライバル視できる人といっしょにやりたいってことなんだよね。厳しいなぁこういうの。ヤツも寂しかったと思う、今思えばだけど)


あれはさびしかったなぁ。


しかし、自分は友情で音楽をしてるんじゃない、「目標のためにはむしろ敵を求めたい」なんていうニーチェっぽい心のありようだったので(笑)、これはこれで仕方がなかったのだと思いたい。


当時、阿部ちゃんはどう思っていたんだろう・・そこまで気が回らなかったわけだが、結局、阿部ちゃんはワシとの二人小静流を続行してくれることになったんだから、まぁ、多分納得してくれたんだろう・・。


この時点で、バンド名をCO-静流と改めて、この後に続くのである。


(ディープな話だなぁ)

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<より充実したサウンド作り>   



これまでずっとつるんでいた本郷との別離による、軽音内でのなんとも言いがたい冷ややかな空気の中、ワシは精力的に曲を増やしていき、誰にも止められない打ち込み生活が始まっていた。


この頃、付き人”田村”には”デン”という愛すべきニックネームが付けられており、わしのアパートに良く遊びに来ていた。若くして働いていた彼は、給料日が来ると寿司などという高級食材を買っては、わしの腹を満たしてくれたのである。


悪魔的な教義を彼には吹き込んだのかもしれない。彼はわしのアパートに来る度に家族から止められていたというのだから笑える。


わしゃ悪魔か!


まぁ、しかし、仕事が終わってから、深夜まで、時には朝まで、謎の大学生の家で遊んでばかりいる息子を、母は心配していたのだと・・そういうことなのだと思う。


デンがキーボードとして参加することになるのは時間の問題だった。何故だか分からないが、いつもそばにいるのである、こやつは(笑)。


また、彼は、良くライブの話を持ってきた。マネージャーみたいな役回りを進んで引き受けてくれていた。


ともかく、歯車は回りだしたのである。わしがギターとギターシンセサイザーで参加するクライズラー&カンパニーのネタ(アップ系と言っていた)と胡弓で枯れモノを演奏するダウン系のフォーマットも定番化しつつあった。


小静流の頃とは、ライブパフォーマンスも演奏力も音質もすべてにおいて比べ物にならないモノとなり、軽音だけでなく、外部にもアピールするに足るバンドに育っていったわけである。


 また、静流、小静流、CO-静流を通じて、おおたか静流さんとの文通(笑)やライブに行った際バックステージで話をしたりと、非常に夢のような時期でもあった。ある時などは、(青山CAYでのライブだった)おおたかさんがステージから「山形県米沢で活動している小静流のマッピーです」なんて紹介を受けたこともあったなぁ。

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<ライブに飛び出せ>  



キャデラックというオールディーズ専門のバーみたいのがあって、ここのマスターとデンが繋がっていた。デンはレイラというビートルズバンドに参加していて、そのバンドでちょくちょく出ていたようだ。


名刺代わりにとデモテープを作って、キャデラックの店長”青野さん”に聞いてもらう。反応が非常に良い。ライブの話がとんとん拍子に進み、飲み食いタダのライブ決行となるわけですな。


非常にクオリティの高いバンドっていうような評価をされて、有頂天になってた気がする。打ち込み、胡弓、エレクトリックバイオリンっていう構成も物珍しかったんだと思う。


このころ作成したデモテープが”Co-静流DEMO vol.1”というクライズラーネタを5曲入れたモノと、その後枯れモノを入れたモノの2本。1994年12月に録音し、95年のライブで100本くらい配布した。


Co-静流DEMO vol.1

1994/12/23



Abe Masataka / Electric Violin 

Krantz Electric Violin

Yamaha REX50 , R100



Matsui Yoshiyuki / E.Guitar,Guitar Synthesizer,Sequence Programming

Fender ST72

Roland GR1,SE50,D70,Juno106,U220

Yamaha QX5FD

Marshall 9000



Tamura Yuichi / Synthesizer

Roland Juno106,U220

E-Mu VintageKeys



Recorded At K-On,Yonezawa

Sony MiniDiskRecorder MZR2 & MZ1





Co-静流DEMO vol.2

1994/12/28



Abe Masataka / Electric Violin 

Krantz Electric Violin

Yamaha REX50 , R100



Matsui Yoshiyuki / E.Guitar,Guitar Synthesizer,Sequence Programming,Erfu

Erfu

Fender ST72

Roland GR1,SE50,D70,Juno106,U220

Yamaha QX5FD

Marshall 9000



Tamura Yuichi / Synthesizer

Roland Juno106,U220

E-Mu VintageKeys



Recorded At K-On,Yonezawa

Sony MiniDiskRecorder MZR2 & MZ1



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<CO-静流95、95Plus>


キャディラックの他にも、青野さんの紹介で上杉祭りのイベントでライブ演奏したり、ホテルで出演料を貰って演奏したり、はたまたケーブルテレビに出演したり(「タイトルはあなた」っていうアマチュアバンド紹介番組をキャディラックで収録、NCVのスタジオで収録したり・・)、そうそう冬の上山で屋外ライブイベントに出演したり・・。

デンの機材はパワーアップを続け、当時のシンセオタクの憧れであるJD800に手を出してみたり、阿部ちゃんはエレクトリックヴァイオリンの平坦な音が嫌でアコースティックに持ち替えたり、わしはわしでアイバニーズのギターにパワーアップし、ロングディレイが生かしたマクソンのディレイマシンを入手。レコーディングも生楽器以前のオケをDATで録ってみたり、練習の多さから必然的に演奏能力も向上。


そんなこんなで、「そろそろ新しい音源作るか」ってんで、夜な夜な軽音の部室で練習とレコーディングの日々。

夜7時くらいからはじめて、23時とか0時とかまで根詰めて、その後、インドカレー屋に夜飯を食らいに行く。中国人留学生のWENさんに中国語ナレーションをお願いして、枯れモノの中に挿入してみたり。とにかく四六時中CO-静流であり、最も充実した時期だった。

CO-静流95、これまでのデモテープやライブでの演奏曲をまとめたモノで、全14曲

胡弓ネタは当時も音程が甘いのを気にしてたが、やっぱり今聴いても”相当に恥ずかしい”。アップ系はアイバニーズのギターで歪度アップ、アームを多用したノイズ吐きまくりでより邪悪に。

95Plusは、打って変わって、今後の活動の弾みとするために、個人的にやりたいことをやるという趣向のデモテープ。すごいエネルギー(ロック的といっても差し支えない)が篭ってる。阿部ちゃんが「入り込めない」「分からない」と言っていたのだから間違いない(笑)


この次のデモを音源化したときには、よりテクノ的、ヒーリング的になっていったことは”多分”間違いがない。


(最後のライブ”LastLive at Reception”を聴くと、どのあたりを目指していたかが分かろうというものだ)


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<未完のデモテープ>


Co-静流95Plusの後、暖めていたのが”野ばら””花96”など、これまでのシーケンスデータを、デンの持ってた音源に対応させたり(ドラム音をアレシスに置き換えただけで、ヌケが全然違った)、自分のギターをフレーズサンプリングして使ったり、ギターはディストーションのリフではなく、ロングディレイの涅槃系空間ギターに変化。


これが就職によって山形を去る96年3月までの出来事。


思い入れの強いCO-静流の今後を思うと、必然的に「今できることを最大限残しておきたい」「最高のサウンドを残したい」と思っていた。


気に入ったテイクが上がらず、最終的には阿部ちゃんのヴァイオリンとわしの涅槃ギターが入った”野ばら”あたりを最後に録音中断。


最後のライブへとコマが進むのである。





 また、静流、小静流、CO-静流を通じて、おおたか静流さんとの文通(笑)やライブに行った際バックステージで話をしたりと、非常に夢のような時期でもあった。ある時などは、(青山CAYでのライブだった)おおたかさんがステージから「山形県米沢で活動している小静流のマッピーです」なんて紹介を受けたこともあったなぁ。

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<ライブに飛び出せ>  



キャデラックというオールディーズ専門のバーみたいのがあって、ここのマスターとデンが繋がっていた。デンはレイラというビートルズバンドに参加していて、そのバンドでちょくちょく出ていたようだ。


名刺代わりにとデモテープを作って、キャデラックの店長”青野さん”に聞いてもらう。反応が非常に良い。ライブの話がとんとん拍子に進み、飲み食いタダのライブ決行となるわけですな。


非常にクオリティの高いバンドっていうような評価をされて、有頂天になってた気がする。打ち込み、胡弓、エレクトリックバイオリンっていう構成も物珍しかったんだと思う。


このころ作成したデモテープが”Co-静流DEMO vol.1”というクライズラーネタを5曲入れたモノと、その後枯れモノを入れたモノの2本。1994年12月に録音し、95年のライブで100本くらい配布した。


Co-静流DEMO vol.1

1994/12/23



Abe Masataka / Electric Violin 

Krantz Electric Violin

Yamaha REX50 , R100



Matsui Yoshiyuki / E.Guitar,Guitar Synthesizer,Sequence Programming

Fender ST72

Roland GR1,SE50,D70,Juno106,U220

Yamaha QX5FD

Marshall 9000



Tamura Yuichi / Synthesizer

Roland Juno106,U220

E-Mu VintageKeys



Recorded At K-On,Yonezawa

Sony MiniDiskRecorder MZR2 & MZ1





Co-静流DEMO vol.2

1994/12/28



Abe Masataka / Electric Violin 

Krantz Electric Violin

Yamaha REX50 , R100



Matsui Yoshiyuki / E.Guitar,Guitar Synthesizer,Sequence Programming,Erfu

Erfu

Fender ST72

Roland GR1,SE50,D70,Juno106,U220

Yamaha QX5FD

Marshall 9000



Tamura Yuichi / Synthesizer

Roland Juno106,U220

E-Mu VintageKeys



Recorded At K-On,Yonezawa

Sony MiniDiskRecorder MZR2 & MZ1



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<CO-静流95、95Plus>


キャディラックの他にも、青野さんの紹介で上杉祭りのイベントでライブ演奏したり、ホテルで出演料を貰って演奏したり、はたまたケーブルテレビに出演したり(「タイトルはあなた」っていうアマチュアバンド紹介番組をキャディラックで収録、NCVのスタジオで収録したり・・)、そうそう冬の上山で屋外ライブイベントに出演したり・・。

デンの機材はパワーアップを続け、当時のシンセオタクの憧れであるJD800に手を出してみたり、阿部ちゃんはエレクトリックヴァイオリンの平坦な音が嫌でアコースティックに持ち替えたり、わしはわしでアイバニーズのギターにパワーアップし、ロングディレイが生かしたマクソンのディレイマシンを入手。レコーディングも生楽器以前のオケをDATで録ってみたり、練習の多さから必然的に演奏能力も向上。


そんなこんなで、「そろそろ新しい音源作るか」ってんで、夜な夜な軽音の部室で練習とレコーディングの日々。

夜7時くらいからはじめて、23時とか0時とかまで根詰めて、その後、インドカレー屋に夜飯を食らいに行く。中国人留学生のWENさんに中国語ナレーションをお願いして、枯れモノの中に挿入してみたり。とにかく四六時中CO-静流であり、最も充実した時期だった。

CO-静流95、これまでのデモテープやライブでの演奏曲をまとめたモノで、全14曲

胡弓ネタは当時も音程が甘いのを気にしてたが、やっぱり今聴いても”相当に恥ずかしい”。アップ系はアイバニーズのギターで歪度アップ、アームを多用したノイズ吐きまくりでより邪悪に。

95Plusは、打って変わって、今後の活動の弾みとするために、個人的にやりたいことをやるという趣向のデモテープ。すごいエネルギー(ロック的といっても差し支えない)が篭ってる。阿部ちゃんが「入り込めない」「分からない」と言っていたのだから間違いない(笑)


この次のデモを音源化したときには、よりテクノ的、ヒーリング的になっていったことは”多分”間違いがない。


(最後のライブ”LastLive at Reception”を聴くと、どのあたりを目指していたかが分かろうというものだ)


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<未完のデモテープ>


Co-静流95Plusの後、暖めていたのが”野ばら””花96”など、これまでのシーケンスデータを、デンの持ってた音源に対応させたり(ドラム音をアレシスに置き換えただけで、ヌケが全然違った)、自分のギターをフレーズサンプリングして使ったり、ギターはディストーションのリフではなく、ロングディレイの涅槃系空間ギターに変化。


これが就職によって山形を去る96年3月までの出来事。


思い入れの強いCO-静流の今後を思うと、必然的に「今できることを最大限残しておきたい」「最高のサウンドを残したい」と思っていた。


気に入ったテイクが上がらず、最終的には阿部ちゃんのヴァイオリンとわしの涅槃ギターが入った”野ばら”あたりを最後に録音中断。


最後のライブへとコマが進むのである。