「たまがわリバーサイドジャズ'95/兵庫島河川公園屋外特設ステージ」でおおたか静流が披露した”花”、”まつり(アンコール曲)”、「有機的声浴体験?〜鎮魂詠歌/シアターコクーン」で演奏された”野ばら”、”Diary(ライブ演奏の後にアルバム収録)”あたりのサウンドに大きく影響された。加藤みちあきの(ロバートフリップを髣髴とさせる)抽象的パッドギター、内橋和久のディレイ&ボリュームペダル奏法、渡辺等のマンドリンなど、宇宙的かつ内面的、アコースティックな空気感。弔いとか鎮魂とか・・・人が一生を終える時どのような感情やサウンドが飛来するのだろうか?
<ラストライブ>
地元の馬鹿ウマバンド”オンライン”といっしょに立った最後のステージは、”レセプション”というバーだった。ここもデモテープとデンの営業活動によって出演にこぎつけた場所。オンラインとは、上山の屋外ライブで一緒になってから、ちょくちょく話機会があった。ギタリストの武田さんはスパニッシュスタイルがカッコよく、常々「あー、ああいうギター弾きたいなぁ」と思ったものだ(スケール練習とかしたくなかったけど)
ともかく、ワシのバイト先や、デンの知り合い、阿部ちゃんのサークル関係などなどで人を集め、最終決戦となったわけですな。
そこで起こったことは、恥ずかしいやら誇らしいやら、寂しいやらで今でも上手くまとめることができない。
恥ずかしいのは、胡弓の音程、ギターのミス。誇らしいのはアドリブのフレーズが思いがけずはまったこと、阿部ちゃんのロマンス。アンサンブルはお世辞にも良い出来とは言えなかった。寂しいのはデンのMC。そこに来てくれたお客さんの暖かい笑い声や励まし・・・などなどこれまでの活動がすべて綺麗な思い出と化した”良いライブ”だったことは間違いがない。
<前半>
01:洗練された知性について/DEN
02:風の中に
03:亡き王女の為のパヴァーヌ
04:ブンガワン・ソロ
05:スキニナリマシタ
06:カタロニア/OnLine with Yoshiyuki Matsui
07:Little Wing / OnLine with Yoshiyuki Matsui
<後半>
01:The End Of Asiaの逆襲
02:トルコ行進曲
03:ソルヴェイグの唄
04:脅迫観念
05:生命の神秘
06:花〜すべての人の心に花を
07:野バラ
08:ロマンス/Abe-Chan
アンコール
09:春
<一時的な復活>
サラリーマン生活が始まり、音楽とはすっかり離れていた2000年。
阿部ちゃんはオーケストラの世界とTrinity、オンラインで音楽活動を続けていた。プライベート面では、職を変え、ヴァイオリン教室で生計を立てることに・・・。デンはMATZとEDITMODEというエレポップ・テクノバンドで何枚かのCDを作ってはワシに送ってきていた。
そんな頃、わしが結婚することとなり、披露宴でCO-静流を復活させる計画を立てた。
結婚式の引き出物がどうとか誰にスピーチを・・なんていうことよりも「人前で演奏するのに恥ずかしくないようにギター、胡弓を練習しなきゃ」っていう気持ちが強く、毎日会社から早く帰っては練習した日々を思い出す。
結局、阿部ちゃんは息子に悲劇があり、不参加。デンがキーボードで参加、ミキサーにMATZという部分的なCO-静流として復活した。
阿部ちゃんが弾いていた野ばらのメロは胡弓で、新世界のメロはDENがキーボードで・・。演奏は、やはりブランクを感じさせる程度のものであったが、かつてのメンバーで音を出せただけでも感謝である。
デンも不慣れなメロディに戸惑い、わしもヴァイオリンに頼っていた部分の不足に戸惑った。
今は亡き親父の前で、またこの先ずっと一緒にいることとなる嫁の前で、サラリーマンとしての付き合いしかしていない会社の人の前で、CO-静流が雄叫びを上げた(完全じゃないけどね)。
それから、DENと音を出したのも、このときが最後になるわけである。
その頃のデンの書き物はこちら
<デンを失って>
わしの結婚の翌年、2001年5月デンから連絡が入る「彼女と色々ありましたが、結婚することになりました」
「こないだ両親へご挨拶に行きました」「ゴールデンウィークに松井さんにもご挨拶しに行きます」
デンと彼女が名古屋に遊びに来た。大須の雑貨、パソコンなんかを見て、部屋に寄せてしばしの思い出話や近況報告。
やはり久しぶりの友達は居心地が良いなぁ・・・「CO-静流そろそろ復活しませんか?」なんていう話もしていた気がする。
ネットで音を交換できるし、出来ないこともないなぁ・・・阿部ちゃんが録音できる環境を何とかしないとなぁ・・・・なんて
デンが米沢に帰る。「無事到着しました」電話連絡がある。
「あー、デンも結婚かぁ」「めでてぇなぁ」
そんな矢先、彼女から連絡が入る「デンが今朝なくなりました」
前の晩、彼女といっしょに名古屋で撮影したビデオやら見て、ウイスキーを飲んで寝たらしい、朝方ベッドから落ちて母親が「大丈夫?」と聞いたときに「大丈夫」と応えたらしい・・。それっきり目を開けることがなかった。
すぐさま米沢に入る。
嫌な再会だ。2日前に名古屋で別れたばかりなのに、今度は固まったデンと米沢で再会だなんて。
母親が言ってた「ことあるごとに松井さん松井さん」って慕ってた、「名古屋は楽しかった」って。
ヤツがわしによこしたメールは全部、いまだにPCの中に入っている。ヤツの部屋には自慢の楽器が電源を入れられることの無いまま置かれているらしい。
ヤツが早すぎる人生を終わらせた瞬間から、わしの創作が始まる。そう、ちょうど5月からACIDを武器に。
ヤツ、そして今の阿部ちゃんとでCO-静流でいっしょにやっていたならば、おそらくデジロックやヒーリングになっていたに違いない。
今は、まだわし一人で創作を続けている。黙々と・・・。
今年で満3年になる。
CO-静流があのメンバーで復活することはもはやない。
しかし、今こうしてCO-静流アーカイブを編集し、文章化し、永遠に存在できる”データ”として生まれ変わろうとしている。
(また感傷的な文章になってしまった・・・すまん)
しまりす音楽会で活躍中の阿部ちゃんのHPはこちら
EDIT MODEのHPはこちら