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電子楽器、音楽、コンピュータ、プログラミング、雑感。面倒くさいオヤジの独り言

正しく恐れる

放射能や防災減災の話題の中で、正しく恐れるという表現が出てくる。恐れるその方法には、正しい、正しくないという区分があり、どちらかといえば正しくない恐れ方をされているので、「正しい恐れ方を教えて進ぜよう」という訳だ。偉そうに

「客観的事実を議論の出発点にしよう」とか、「風評に惑わされないようにしよう」という表現ならまだしも。

人の恐れという主観的な問題に対して、正しい、正しくないという評価を下す態度が違和感の原因だ。

「恐るに足らないんですよ」と言ってくれるんなら、「安心してください」といえば良い。

それを、正しく恐れましょうだなんて。
評論家気取りの無責任な風評ではないか?

…と少し調べてみたら

http://blog.goo.ne.jp/kuba_clinic/e/4860f11b7cab6896e07b21bf141100ef
に、正しく怖がるというのは誤用で、寺田寅彦という人が、正常性バイアスの危険性を指摘する際に、”正当にこわがる”という表現をしたのがオリジナルらしい。

正に、原子力御用学者の誤用だったというわけだ。

やっぱりな

そもそも今日の混乱を招いた最大の原因は、「国民は愚かで情報をストレートに出せば「正しく理解」することが出来ずにパニックが起こる」という前提の元に、情報を隠蔽し事実を過小評価して誤摩化そうとした政府や学者の側にある。
それを信じて被曝を強要された国民の怒りは決して消え去ることはない。

このあたりが正しさを定義しようという嫌らしい啓蒙思想の本体だ。