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まだまだ、「みんなの意見」は案外正しいネタ

まだ言い足りない「みんなの意見」は案外正しいに関するネタ
魅力的なテーマでもあり、言葉が独り歩きしがちなテーマであるからこそ、言い足りない感じが残っている。フォークソノミーやblogってそもそも、みんなの意見を大事にする仕組みだし、共起語を判定する検索エンジンなんてのも、みんなの意見を集約して、トレンドを発見しようっていう試み。
実際のところ自分も、「企業の検索システムで、フォークソノミーやら単語の出現頻度、共起語によって、情報のナビゲーションをしたらどうか?」なんていうことを考えているのだから、集合知について、もっともっと詳しく検証しなければ、提案さえできない。
みんなの意見によるナビゲーションツールを提供したとして、間違った結果を提示するようなことになったら、何を言われるかわかったもんじゃないからだ。
どんな検索結果を提示できることが正しい?という問題に集約される。

・”正しい”ことはどのように判定する?っていう問題
その時点で分からなかったことに対して、後になって正しかったかどうかを判断する。「みんなで決めたんだから正しいとするほかない」ってことじゃなくって?
それとも、間違った場合だけ、誰か特定の人物に責任を押し付けるから、結局集団で決定したことは間違うことがないってこと?
だから、何か不祥事があると、キリストよろしく、誰かを血祭りに上げて、ことが収束する。
別テーマの”責任”にも関係する視点。
・”集合知”の紹介のされ方って信頼できるの?っていう問題
このコンセプトを、現在最も喧伝している”web2.0”はもちろんのこと、マーケティングとか株とか、ネット民主主義(政治)みたいな分野が多い気がしますが、果たして恣意的な誘導は含まれていませんか?ってこと。集合知による予測が成功した事例ばっかりクローズアップする手法が使われていませんか?
・「みんなの意見」が正しいという教義を広めることで得をする奴の問題
例えば、「イントラブログ暗黙知集合知の活用に有効」なんていう荒っぽい言い方がされるときに、確かにこれまで表に出にくかった情報が、衆目に晒される可能性が高まり、トラックバックで相互リンクされる、RSSで集約できるっていう意味では、グループウェア掲示板機能よりも活発なディスカッションが期待できる。しかし、どのように全blogの平均を計る?(正解を求める?)
たくさんリンクされているページが、正しいページであるっていうグーグルスタイルで、経営判断をするの?ってこと。
それまで、意見を聞いてもらえなかったバイト君とか、経験の浅い社員の意見が出てきやすくなるわけで、多くの企業がそうであるように、過去に多大な貢献をした人が、上のポストになっており、従って決定権と責任を負っているという考え方に、挑戦状を叩きつけていると思う。
そう、弱者の怨念やら、少数派のシンパシーが、情報システムを席巻してしまうデメリットもある。
反権威を目指していることに、もっと警戒すべきじゃないかな?
・結局「みんな」って誰よ?っていう問題
統計的に計られる”みんな”っていうのは、結局誰でもない。最も過激な意見、中庸な意見もすべて統合した上での平均値としての”みんな”が正解だと言うこと。誰のものでもない決定事項に、誰もが従うわけではないんじゃなかろうか?。平均を取るな!とは、生産性を計る場合に良く言われること。時間なら最小値、利益なら最大値が目標であって、平均と比べても大して意味はない。
国民の平均年収っていう言い方がずいぶん怪しいのと一緒。もちろん、平均年収とぴったり同じ人は、「俺って平均なんだ」と安堵することだろうが、何億も稼ぎ出すトップ10パーセント程度の大富豪の数字と、200万円以下の所得を平均しちゃうんですよ?まったく意味がない。
もとのテーマから全然離れちゃってるが・・。(汗)