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電子楽器、音楽、コンピュータ、プログラミング、雑感。面倒くさいオヤジの独り言

「みんなの意見」は案外正しい?

みんなの意見が、専門家の意見よりも優れる”場合がある”というアイディアが結構有名だ。
しかし、これ大事な前提があって、多様性、独立性、分散性がある集団である必要がある。
かつ、”予想に役立てる情報”と限定する必要もあるかもしれない。エキスパートの直感よりも統計値を信じようっていう言い方をすれば「そうかもしれんね」と思う。

ネット村で、多様性、独立性、分散性が充分に確保されていると言えるのか?否
→誰もが参照するサイトが、少なくともあるコミュニティでは局所化しているうえ、反対意見はそもそも掲載されていない。
グーグルのランキングの例で、みんなの意見が正しいことを立証できるのか?否
→ただリンクされている数であり、参考にはなるものの、内容を保障するものではない。
アマゾンの「これを買った人はアレも買っています」というのは、本当に欲しいものを提示できているのか?否
→購入者の統計情報から相関を割り出している&個人の購入履歴との相関を計算しているに過ぎない。エロDVDを買った人が、哲学書を買っているかもしれないし、買いたいと思っているかもしれない。

「みんなが言っているんだから、正しいだろう」っていう個々の日和見的判断が、結果的に著名な意見に、無批判、無目的に従っているだけじゃなかろうか?
何が正しいのか?という問い自体が、「みんなの意見が正しい」というアイディアを(暗黙のうちに)包含していないか?
みんなの意見がまったく正しくなかった事例の方が、圧倒的に多いが、それを隠蔽していない?という疑問もある。
悪貨は良貨を駆逐する・・・とか色々言われているではないか
有利な意見を自分も取り入れておこうってことじゃないか?
「いや、そうではない」という実験も確かにあるようだ。”月旅行にもって行くもののリストを作成する”という問題で、実際のNASAのリストとの照合して正解を試す実験を、会社の研修でテストされたことがある。

月旅行への携帯品を決定するのだが、重量なのか何なのかで制限がある。必要と思われる順番に並べるというもの。はじめに個人が正解を推測した結果と、その後皆でディスカッションしながら正解を取りまとめていく。正解は、NASAで実際に行われた結果だと聞かされていた。(これも、実際は権威に対して、正解を求める傾向を見るためのテスト?)
声の大きい奴、声は小さいが的確な判断をする奴、取りまとめに回る奴、極端な反対意見を主張する奴・・・様々な経緯があり、最終的には、個人得点の平均よりも常に上回る結果が出る。
その実験では、コミュニケーション、チーム生産力といったテーマで
「チーム生産は、優れた能力を持つとされる個人の生産を上回る」という結論で締められた。
これって、みんなの意見は案外正しい・・と非常に似ていると思う。っていうか、そのままか。
”月旅行にもって行くもののリスト”の問題は、その場の人間の誰もが正解を持っていない問題だ。未知の事柄に遭遇したときの対応に、正解はない。テストを受けた集団にとって、経験値に差がなく、多様性、独立性、分散性が確保されていたと考えられる。
実際の世の中では、持っている情報や経験値に偏りがあり、やっぱり玄人には玄人なりの正解を持っているものだ。結局は、実際に月旅行を行ったことがあるモノが正解なのである。
もし、会社がこれまで経験したことがないことに遭遇したとき、できるだけ多くの意見を求めて、最適解を得ようとするのは当然だ。むしろ、状況が変化したのに、過去の経験に頼ろうとする、古株の意見をどれだけ、皆で説得できるか?という問題に置き換えたほうが良さそう。
「みんなの意見」は案外正しいといった、前提や個々のケースを極端に一般化したものいいには、充分に気をつけたほうが良いと思われる。
だって、”みんな”と表現されているものは、あなたでも私でもなく、単なる平均値なんだから。
経済(株?)で言われる”神の見えざる手”とか、最大多数の最大幸福とか・・違うか
とても挑発的なものいいだもんね「みんなの意見が案外正しい」←反権威、民主主義
あ、グーグルの検索結果評価のアルゴリズムに対して、学者さん達が腹を立てているっていう話題もあったな。人よりも情報を握る人が、わけのわかんないスパム業者のページや、くだらないblog(自分のもか?)よりも下位にランクされるんじゃたまんないわな。これ、ある意味で「みんなの意見は案外正しい」の結果なんですわ。うぷぷぷ
結局、専門家といえども間違えることがあるって言ってるだけじゃないのかな?
=みんなの意見は(ある状況下においては)案外正しい(場合がある)