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電子楽器、音楽、コンピュータ、プログラミング、雑感。面倒くさいオヤジの独り言

米国で標準化について考える

・日本のアドレスの携帯メールが米国で使える。
・こうして持参したノートPCで簡単にホテルからインターネッがト繋がる。
・異国でメニューを指差しさえ出来れば物が食える。
・HelloとかHiとかexcuse meって笑顔で言えれば好意を伝えられ、客として見て貰える。
これ、全部手続きが標準化されているメリット。アメリカの発明なんだよね。悔しいけど。
「分からないもの同士が繋がろうとして、知恵を絞った結果なんだろうな。」と素直に感動する。
標準化、平均化されていくことに対する危惧って、日本国内で良く見聞きするけど、標準化されることのメリットの方に目をつむりすぎているのかもしれないなと思う。
仕事においても、やれ差別化だ独自性だとうるさいが、誰にでも扱えるようなソフトウェアや標準化された仕様のものをまず作ってみろ!多くに認められてみろ!っていう話なんだよなぁ、結局。
マクドナルドがまずいとか、ステーキがまずいってのはいかんともしがたいが、もっとひどいものを食わせられるリスクからすれば、はるかに安心できる。
日本仕様の携帯で米国で使えないとか、日本のネットワークプロトコルTCP/IPななかったら・・・なんて考えると、それだけでストレスになってしまう。
すべてが万歳じゃないけど、アメリカ的なるものはアメリカでその素晴らしさが分かるって感じ?