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電子楽器、音楽、コンピュータ、プログラミング、雑感。面倒くさいオヤジの独り言

米国の日常にインスパイアされて

米国の差別の歴史や社会批評みたいな本で良く見る現象は、やっぱり強く感じる。
黒人やヒスパニックの問題だ。治安の悪いと説明される地区は決まって、カラードの住んでいる場所であり、犯罪が多発する原因も”ほぼデフォルトで”カラードの仕業と認識されている。
ホテルの従業員で掃除、フロントは黒人。町で補修工事をしている作業員は黒人。トラックの運転手もバスの運転手も、タクシーの運転手も、表に出てきているのは全部黒人だった。チャイナタウンは大体汚れている。
ものすごい階層社会なんじゃないか?
こっちで暮らしているカラード全体を代表するつもりも、肩入れするつもりもないが、”そういう社会なんだ”と認める以外にはない、現実がある。

マルコムXが激しい人生の中で主張し続けた、セパレーションの理想は、ほぼ打ち砕かれているような気がする。
ますます巧妙に社会のシステムになって、ほぼ無意識にカラードはそのルールに従っているように見える。
フィラデルフィアには、ジューイッシュアメリカンミュージアムだの、アメリカンアフリカンミュージアム。ワシントンDCにはホローコスト記念館やらインディアン博物館なんてのがある。
一見これらは、善意を装って、アメリカ文化を構成する要素を残そうとしているように見える。
しかし、悪意を持って見れば、「これは過去に起こったことです」として封印しようとしているとも取れる。
インディアン(アメリカ先住民)や黒人、ユダヤ人、ホローコスト、そして加えるならば太平洋戦争、広島・長崎の問題は、全部過去の問題ではなくて、現在も継続しているからこそ問題なのに。
確かにこうして、入国審査をパスし、誰にも襲われず、何の不便もなく観光している事実から見れば、差別を受けていないし、平等に米国で過ごしているのだが・・
カラードに与えられている選択肢を想像するに、米国内の人種の問題がすでに解決済みの過去の問題とはまったく思えないのである。