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 ラストサムライ 

うーーん良い物語だ。最後の部分で、近代日本軍が死に行く侍に深々と礼をするところ、天皇が侍の意思を引き継ぐところ・・・感動する部分が満載。(たぶん)歴史じゃないということを前提にすれば・・だ。
トムクルーズが武士道の中にこれまでの人生を投影し、最後天皇への進言をする。
日本人自身が映画で絶対に描かない(描けない?)天皇の姿を描いている点でも、「勇気があるな」と思う。
日本を独立した強い国として統一するためにどうしたらよいか?人間として苦悩した・・というあたりの想像性は・・たぶん正しいんだろうな。取り巻き達に翻弄され、色んな勢力の力を戦わせたり、「どうしたら良いか?」なんて聞いてたんだろうな。
アメリカで制作されたサムライモノだっていう先入観から、最初はかなり懐疑的というか、敵意を持って見ていたんだけど、礼、引き戸を閉めるシーン、切腹の見せ方・・などなど、細かな描写を見てて「この監督詳しいな」と思いつつ、渡辺兼と真田浩之の演技に「これは日本映画では?」と感じたりで、徐々に引き込まれる。
インディアン虐殺というアメリカの恥部と日本の中にあった近代化と侍文化の終焉を重ね、侍に尊敬を向けながらも、最終的には、近代化という時代の変わり目にはやむを得なかったんだと描く。
侍文化は精神の問題であり、現実的には敗北したんだ・・・と結論付けているような気がする。
座りの悪いのがエンディング。
トムクルーズ演じるアメリカンサムライは、彼が殺めた侍の妻の元に戻るべきではなかった。愛でハッピーエンドではなく、桜の映像と共に、行方知らずのアメリカンサムライのその後を暗示した方が良かった。
しかし、本当は、天皇についての解釈、明治時代、尊王攘夷への解釈、現在の目から見た侍の意味を、いや意味までとは言わないので、せめて物語として、日本人の手で映画化して欲しかった。
アメリカ人の大衆映画にテーマと舞台を与えられ、手を差し伸べられて、日本の侍スターが大挙したという構図がすでに侍ではない。
これをたくさんの日本人が涙して見て、サムライ文化を教えられる。
敵を尊敬できる懐の大きなアメリカ様はどうだ?と
いやぁ、良い映画ですよ。監督がピュアな気持ちで武士道を描きたいと思ったのか、単に商業的な意味でトムクルーズアメリカを、ナショナリズムが盛り上がりつつある日本人の心象を見透かした上で渡辺兼起用の侍映画で日本市場を狙ったのか知らないが、結果的には久々に見た大作っていう気がする。でもやっぱり現在に至っても天皇や近代やサムライっていうのは微妙な問題だし、皮肉のひとつも言いたくなる自分がいるってことなんよ。