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電子楽器、音楽、コンピュータ、プログラミング、雑感。面倒くさいオヤジの独り言

騒音問題がアイドリングストップと言い換えられエコになっちゃった件

朝6:50- マイクロバスのアイドリングで目が覚めた。どうやら団地の催しで、参加者を待っているらしい。
人の家の前で、迷惑な話だ。(家の中で無くて良かった)
もう20分以上もアイドリング。当然、苦情にGOだ。
「いつまでいます?エンジンを止めてくれませんか?」
すぐに止まった。静寂が戻ってきた。さぁ、布団に戻ろう。
「やれやれ」と毛布に包まること5分。しばらくしてまたアイドリングだ
「嫌がらせか、この野郎」
(このコントのような展開)
最後の参加者が到着、(あの人を待たせて平気な感じの)中年女性を待っていたらしい。しばらくしたら発車した。
市のWebサイトを見ると、騒音問題が、アイドリングストップだとか、地球温暖化対策なんていう温い表現になっている。アイドリングを止めることが、あたかも善意によるもののように。
「違うだろう!」と思う。
うるさい、たまらない、なんとかしてほしい・・と苦情を申し立てる被害者がいて、彼ら(自分含む)の苦痛に対して、加害者は自覚的になりなさいっていうことであって、そういった民意の集合体としての社会からの罰則だ。
地球のためなんていう(主体になりえないもののための)、善意なんかではない。
とげとげしくなく、ルールを守らせるために、別の理由を使っているのかもしれないが、
被害者の存在を隠蔽した、あまり良くない表現じゃないかと感じる。

※そういえば、前にもアイドリングストップネタを書いたかな