y-matsui::weblog

電子楽器、音楽、コンピュータ、プログラミング、雑感。面倒くさいオヤジの独り言

実家でYMO関係書籍発掘でまたまたYMOのこと

連休を使って実家に帰った。
再生YMOの頃に買った本”コンパクトYMO””TECHNODON”を発見し、読み返してみる。
再生ライブのチケットがしおりの代わりに挟まっているなど、なかなか臨場感がある。
あのライブの後、またYMOは沈黙したわけだが、12年も経つんだなぁ。
YMO1984年に散開した頃、自分は中学3年生。当時はメンバー間の微妙なスタンスの違いは精神状態なんて全然知らなかったのだが、コンパクトYMO坂本龍一の突き放したような発言を読むと、一人坂本龍一が”より自分の求める実験の場”を求めてYMOを離れていったのだと感じられる。ファン、関係者など外部の期待と各メンバー間のEGOの調整がうまく取れなくなり、時代も”YMOでなくてもRydeenのような定型化されたテクノポップ”を生み出せるようになっていき、次第に役目を終えた・・・と。

再生にあたって、YMOの各メンバーがプロジェクト”YMO”に改めて向き合い、何を生み出すべきかと悩んだ過程が書籍TECHNODONに克明に記されている。いや、音楽的に何を生み出すかというよりも、メンバー3人の間の力関係(縄張り)についての悩みだったと(大人となったひとりのYMOファンとして)確信する。
細野「自分はプロデュースをしたい」←YMOのわだかまりを解消したい。輪になりたい
高橋「2人の才能を身近に感じたい」←細野、坂本が上手くかみ合えばYMOは上手くいく
坂本「今集まって何をするのだ」←俺一人の才能で十分だろ?

結果として、今風のテクノをおじさんが作り、若手に響くかどうか試してみよう・・っていうような謙虚なアルバムの出来上がり。ライブは舞台装置、産業化したお祭りで終わり、YMOファンにはわだかまりが残った。

SketchShow結成の”何も期待されない””自由な”セッションは、本当におじさん3人がやりたかったスタンスなんだろうなぁと感じた。
SketchShowのおじさんがイギリスやドイツや日本のフォロワー達(テクノミュージシャンであったり、DJであったり)に囲まれて、YMOの楽曲じゃない今のテクノをやってくれたら、それは”80年代を通り過ぎた3人のYMO”よりも遥かに楽しいに違いない。